彦根城内の中濠と内濠の間にあり、周りには緑も多く、彦根市立図書館、彦根城博物館や滋賀大学等の教育・文化施設や夢京橋キャッスルロードのような個性的な町並みもあり、充実した高校生活を過ごせる環境が整っています。
姫路・松本・犬山城とともに国宝四城の1つに数えられています。美しい調和を見せる、いくつもの屋根様式が組み合わされた天守は必見です。
重要文化財の1つに数えられる三重櫓は、10m以上にも及ぶ石垣の上に築かれています。また、東側一帯には桜が植えられ、お花見スポットとなっています。
登城合図の太鼓の音を響かせるためにつくられたことから名前が付いた櫓の1つです。東側の壁がなく、柱の間に高欄を付けて廊下にしているのが特徴です。三重櫓とともに重要文化財の1つとなっています。
廊下橋を中心として左右対称に建てられた建物が天秤に見えることから、その名が付きました。日本でこの形式のものは彦根城にしかなく、重要文化財に指定されています。中央の廊下橋は、非常時には落とし橋になったといわれています。
「いろは松」に沿った登城道の正面に佐和口があり、その枡形(ますがた)を囲むように築かれています。
こけら葺きの屋根が美しい、元禄時代に建てられた馬屋です。城内に馬屋が残っているのは彦根城だけです。当時は十数頭の藩主の馬がここにつながれていました。
彦根城築城当初、城下町に時間を知らせる時報鐘をここに置いていたため、このような名称となったといわれています。
600本の梅が植えられている、落ち着いた雰囲気のある梅林です。昔は米蔵があったそうです。
天守、城郭を囲むのが内濠で、内濠と中濠の中間の内曲輪(うちくるわ)には、家老などの邸宅がありました。春になると、内濠や中濠を中心に約1200本の桜が咲き、お城は1年で一番美しい季節を迎えます。
現在の彦根城は、中濠まで残っており築城当時の勇姿がよくしのばれます。全国的に見ても保存状態のたいへん良い城跡です。中濠と外濠の間を内町といい、武士の邸宅、町家がありました。外濠の外を外町(とまち)といい、足軽屋敷や町家がありました。
昭和40年代前半まで、船は水路の奥にある船町の岸壁に接岸し、琵琶湖巡りの客で賑わっていました。しかし松原の琵琶湖岸に新しい彦根港が整備され、港湾はその役目を終えました。現在この水路は、両岸から釣り人が糸をたれ、太公望憩いの場所となっています。ボート部はここで練習しています。
井伊家の旧下屋敷(しもやしき)で、槻(けやき)御殿の名のほかに黒門外(前)屋敷とも呼ばれています。井伊直弼も1815年にこの屋敷で生まれました。
井伊家の旧下屋敷(しもやしき)の庭で、槻(けやき)の庭とも呼ばれています。唐の玄宗皇帝の離宮から名をとったといわれ、近江八景を模した池泉回遊式庭園があります。
彦根藩の政庁であった表御殿を復元した建物で、彦根藩歴代藩主であった井伊家伝来の美術工芸品や古文書など約65,000点を収蔵しています。
井伊直弼は、彦根藩第11代藩主直中の子として生まれましたが、早くして父母と死別し、不遇の青年時代を過ごしました。ところが36歳のときに彦根藩主になり、安政5年(1858)には大老職となり開国を断行しました。この銅像は、井伊直弼が最後の官職であった正四位左近衛中将の正装をうつしたものです。
開国の父・井伊直弼が不遇の青年時代を過ごした屋敷です。11代藩主・直中の14男として生まれた直弼は、300俵の捨扶持で、 17歳から32歳まで、この屋敷で過ごし、「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋れておらむ心なき身は」という和歌を詠み、 自らこの屋敷を「埋木舎」と名づけました。
「開国記念館」は、昭和35年(1960年)に井伊直弼の没後100年を記念する事業として、中濠に面した佐和口多聞櫓に建てられました。平成14年に一旦閉館となりましたが、平成20年10月1日にリニューアルオープンしました。
明治9年の創建で、戊辰戦争以来太平洋戦争に至る滋賀県出身の戦没者の霊を御祭神としています。
中濠沿道の並木道で、47本植えられていたため、「いろは松」と名付けられました。現在では、当時から残っている松は34本になっています。
井伊直政は彦根藩初代藩主で、彦根藩の発展の基礎を築いた人物です。
ここから、多景島や竹生島などに行く定期便が出航しています。夏になると花火大会で賑わうのもこのあたりです。
毎年夏になると水泳客で賑わいますが、最近では、国民的行事となった鳥人間コンテストの会場としても知られています。沖合いには多景島もみえます。
25mプール(室内)、50mプール(室外)の2つのプールを持つ本格的なスイミングセンターです。本校の水泳部も練習等によく利用しています。
多目的グランドで、本校のサッカー部も練習等によく利用しています。
バスケットボールコートが2面取れ、観覧席なども整備された本格的な体育館です。本校のハンドボール部も練習試合等によく利用しています。
全天候型砂入人工芝コートが12面あります。管理棟や観覧席など大会会場としての施設も備えています。 夜間照明設備も完備しています。
全天候型の400メートルトラックとフィールドがある本格的な陸上競技場です。高体連主催の大会や記録会も開催されます。本校の陸上部も練習等によく利用しています。
皇子山球場とともに滋賀県を代表する野球場です。両翼が99m、中堅が122mあり、高野連主催の大会等も行われます。本校の野球部も練習試合等でよく利用しています。
照明設備を完備しており野球やソフトボールに使用できます。
彦根城に隣接している市民公園です。野球場やテニスコート、遊具等もあり市民の憩いの場となっています。
多目的グランドがあり、サッカーやホッケーなどに利用できます。照明設備も完備しており小規模ですがスタンドもあります。本校のサッカー部も練習等によく利用しています。
全天候型砂入人工芝コートが6面あり、夜間照明設備も完備しています。本校のソフトテニス部も練習等によく利用しています。
港湾を望む場所にあり、市民の方々がよく利用されています。
駅からの通学途中にあります。
駅からの通学途中にあります。
学校からの最寄り駅です。多くの生徒がJR琵琶湖線と近江鉄道線を利用しています。また、彦根インターチェンジとともに彦根観光の玄関口になっています。
現在は駐車場になっていますが、ここからの彦根城の眺望はたいへん素晴らしいです。
昭和6年、パーシー・A・スミス氏により建てられた礼拝堂です。アメリカ人牧師であり、彦根高等商業高校(現滋賀大学経済学部)の英語教師だったスミス氏の、両親への祈念と日米の交流の願いが込められているということです。
三千五百石の彦根藩家老屋敷の門で、桁行(けたゆき)43.9m、梁間(はりま)5mの規模を持ち、市内に残されている武家屋敷の中では最大のものです。
江戸時代の町並みを再現した「夢京橋キャッスルロード」です。 全ての建物が切妻屋根の町屋風に統一され、いぶし瓦・白壁・格子戸など江戸時代の雰囲気が漂う食事処や土産物屋が軒を連ねています。
堤防に沿って続くケヤキ並木は、彦根城築城の際に防護堤用に今の川筋にした芹川に植えられ、樹齢400年になります。川の南側は遊歩道が整備され、四季を通しての風情を楽しむことができます。
大正時代の町並みを再現した「四番町スクエア」です。「ひこにゃん」グッズなどが販売されています。
夢京橋キャッスルロードから路地を歩いていくと俳句のテーマ館である“彦根みちくさ処”「俳遊館」があります。 外観は、大正時代の銀行を利用したレトロな雰囲気で、中では「彦根八景」の紹介や彦根の歳時記を詠んだ俳句などを展示しています。
金亀公園の奥、港湾に面したところに本校ボート部の艇庫があります。隣には滋賀大学ボート部の艇庫もあります。